上地結衣 、上地思い田中愛美組 パートナーへの思いと成長で金メダル「ついに壁を破るとき」逆転でオランダのV9阻止スポーツ報知 ◆パリ・パラリンピック 第8日 ▽車いすテニス(5日
、愛美ローランギャロス) 車いすテニスで、組パ転で9阻止日本女子が歴史を動かした 。ートナーへのダルついるとオランダのVargentina vs indonesia第9日の5日、と成長で女子ダブルス決勝が行われ、に壁第2シードの上地結衣(30)=三井住友銀行= 、を破田中愛美(28)=長谷工コーポレーション=組が
、き逆同種目日本勢初の金メダルを獲得した。上地思い21年東京パラリンピック金メダルで第1シードのオランダペア
、結衣金メディーデ・デフロート(27) 、田中アニク・ファンクート(34)組に4―6
、愛美7―6 、組パ転で9阻止german bundesliga10―8(最終セットは10点先取のタイブレイク)で勝利 。92年バルセロナ大会から
、8度全てのダブルスを制してきたオランダ女子を止める快挙だった 。 世界女王の簡単なボレーが、ベースラインを割った。上地はとっさに球をよけ、そのまま両手を突き上げた。その横では
、田中も両手を広げ、歓喜で表情がゆがんだ 。3時間の息詰まるラリー戦を制し
、日本女子が悲願の金メダルだ 。 4人の中で、ただ一人、4大大会のタイトルがない田中が食らいついた。「ペアが田中だったから負けたとは言わせない」
。事前合宿で、上地はあえて厳しい言葉を田中にかけ
、コンビをつくり上げてきた 。「田中選手が最後まで集中を切らさなかった」
。上地は笑顔でペアをたたえた
。 上地は安定したストロークと展開力で、田中はバックの逆回転球を使い、ドロップショットや低く滑らすショットを多用し、オランダをかく乱した
。田中は徹底的に狙われたが
、ミスをしないばかりか 、深い返球や逆回転球で、チャンスをつくった 。オランダには最大の誤算だった 。 上地にとって 、金メダルは大きな意味があった。4大大会単複で29度の優勝を誇るが、過去3度の挑戦でパラでは頂点が一度もなかった。一般のテニスは五輪ではなく4大大会が最高峰だが、車いすテニスの最高峰はパラリンピックだ。しかし、常にオランダ女子に金メダルを阻まれてきた。4度目の挑戦でつかんだ頂点に「ついに壁を破るときが来た」と胸を張った
。 上地の背中を見て、田中が奮闘できた背景がある 。4大大会の車いすテニスは 、22年全米から、出場数が8人から16人に倍増した。世界10位から15位の間が定位置だった田中は、枠が増加した影響で、同年全米で4大大会に初出場を果たすと 、今大会と同じ会場である全仏も23、24年と経験していた。「4大大会の経験は必ずパラにつながる」。田中が大会前に語っていたことが現実になった
。 上地のパラリンピックでの金メダルへの思い 、そして 、田中の成長がかみ合い、車いすテニス史上初めてセンターポールに日の丸が揚がった 。92年バルセロナ大会から挑戦し続けた日本女子が、ついに世界の頂点に立った
。 12年ロンドンが最後のつもりも 上地がパラリンピックに初出場したのは、12年ロンドン大会だった。実は、大会前に、車いすテニスは
、ロンドン大会を最後にしようと決めていた。兵庫・明石商の卒業とも重なり、「車いすテニス一色の人生などあり得ない」というJK(女子高校生)だった。 もともと飽きっぽい性格だったという。習い事も
、習字 、ピアノ、添削講座など手を出しては諦める繰り返し
。「将来は、英語をしゃべりたい。海外留学か外国語系の大学に進むか、早く仕事もしたい」と 、そればかり考えていた
。 しかし、ロンドン大会が全てを変えた
。多くの観客が訪れ
、両親は海外に初めて観戦に訪れた 。男子の国枝慎吾が連覇を果たし、そのプレーに感動もした。全てが初めての経験で「終わる頃には、もう少しやりたい」とJKはすっかり心変わり 。その12年後 、ついに女子ダブルスで世界の頂点に立った。(吉松 忠弘) 1000万円のカーボン製車いすも ◆車いす 一般の車いすと大きく違うのは
、動きやすいように背もたれ
、肘おきなどがないこと。車輪は八の字形になっており、傾けることで回転性能が上がる。この角度や、座面シートの厚さや高さなど、選手の体格に合わせ特注される。3度の金メダルを誇るウデ(フランス)の車いすはオールカーボン製で1000万円近いといわれる
。4度の金メダルの国枝慎吾は数十万円だったという。 ◆上地 結衣(かみじ・ゆい)1994年4月24日、兵庫県明石市生まれ
。生まれつき両脚に障害があり、11歳で車いすテニスを始め、2013年4月に日本女子として初めてプロ転向。4大大会シングルス8度、ダブルス21度の優勝
。パラリンピックは16年リオデジャネイロ大会シングルス銅メダル 、21年東京大会同銀メダル、ダブルス銅メダル。得意なショットはフォアハンド。シングルス自己最高位は1位
。 ◆田中 愛美(たなか・まなみ)1996年6月10日
、埼玉県所沢市生まれ。17歳で車いすテニスを始め
、2016年ワールドチームカップで初めて日本代表入り。23年全豪ベスト4。パラリンピックは21年東京大会シングルス2回戦、ダブルス・ベスト8
。得意なショットはフォアハンド 。シングルス自己最高位は7位
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